冷えとりが合う人、合わない人。
私が冷えとりする理由、その2 - 今日は休息しますの続きでもあります。
冷えとりを始めて半年程で母の首の腫れはすっかり無くなりました。本にあった通りに治ったのです。
それから、自らも冷えとりで体調が良くなったのを体感し、実際に冷えとりしている人に沢山会って話しを聞き、今までの常識が崩れていったのです。
もう自分の身体に起きる変化が楽しくてね。
すぐ半身浴、靴下に関しては習慣になりました。
私の場合これらは毎日のルーティンに組み込まれているのでやめるという考えにはならないです。
そこで、人によって冷えとり健康法が合うのかどうか、続ける事が出来るのか。
冷えとりは誰でもちゃんとやれば、なんらかの効果は出るものですが、やってみようと思うかどうかそこが分かれ目。
まず、基本の冷えとりの本を読めるかどうか。
読んでも自分が求めてないものは完全にスルーされますからね。自分で変われると思ってない人には何も響かないのでしょう。
今は本は沢山出版されていますが、私が最初に読んだのは「万病を治す冷えとり健康法」です。その冒頭で一気に読む気になりました。
はじめに(この本を出したわけ)
鬼子母神は千五百人もいる子どもの中の、一人だけがいなくなっても必死になって探しまわった、といいます。
これと同様に多勢の患者さんの中に、一人でも順調に治らない人があると、医者としては、何とか治す方法はないかと苦労するものです。
当時は 鬼子母神とかよく知らなかったけど、非常に惹かれる内容でした。
そして、終盤にある神霊医療を受け入れられるかどうかでまた振り分けられるでしょうね。
私はこういうの興味深々でしたがね。
次に続けられるかどうか。
靴下や絹の肌着にお金をかけるのが嫌な人の場合。
きっと自己肯定感が低いのです。
でも病気になって高額の医療費を払うのはどうですか?
もし今から自分に対して優しくしてあげられたらどうですか?
先延ばしにしないでね。身体大事にね。
次は冷えとりして辛くなる時
以前、お客様で、進藤先生の本に頻繁に出て来る「正しい・間違い」。これが、自分は間違っていると言われているようで辛いと仰っていた方がいました。
否定されたように感じるということでしょうね。まぁ自分はその時は他に優先するものがあったということで。
善悪、良し悪しって...
立場が違えば逆になる
時代や地域によっても異なる
どこにフォーカスするかで変化する
だから、自分や誰かの行動に良い悪い決めるのは無意味に思えて来ます。
自分の行動の場合、人としてどうなのか、という事くらいは忘れないでいればいいのでは?
頑張っているのに冷えとりが出来ないって悩んでいる人はもう頑張らないで別の所に意識向けた方がいいです。
切り替えていきましょう。
冷えとりやめました〜なんてわざわざ言わないでいいから。
何ですかね、冷えとり健康法は、どういう生き方をするか、の方がよっぽど重要だと思いますのでね。
それに向き合えない内は靴下重ね履きして自分の身体だけに集中してた方が楽なんですよね。
いきなり、お前は何の為に生きてるんだ!とかはっきりしろ!とか迫られたら、そこから離れたくなるし。
だから、靴下と半身浴と腹七分。それだけやってた方が楽。
後は暖かい心って、表面的な事やってても行き詰まる時が来る。
それで、イヤになったら冷えとりやめる?
YESでもNOでも
自分の本音と向き合うことが出来る?
そこが冷えとりの辛い所。
最初はめんげんも楽しかった。
甘いもの食べたら直ぐ反応出た〜って現象を面白く受け止めていたけれど、慣れてくるものです。
葛藤が多いとか、本音で生きていない時、その幅が大きければ大きいほど、人は苦しむのかもしれない。
めんげんの場合も派手に出るのでしょう。
肉体を持って生きている間は限られているから
身体と仲良くやって行こうというスタンスが良いと思います。
身体が無ければこの人生も体験できないんだもの。
自分自身が相当ボロボロになっている事に気付けないで、本来の目的を果たせなかったら?
そうならないためにも、冷えとりをして身体大事にして、いつも自分の心と身体に意識向けてあげたらいいと思いませんか?
いつか誰かのあの言葉は、私の魂からの叫びだったんだ。
なんて消化されるよ。
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