片手間に観戦してます。戦いたくない人。
ワイドショーを見ててふと、世界情勢を見る視点とスポーツ観戦は同じでは?と思った。
全てはどっちが強いか、誰が強いか力比べなら、戦争やオリンピックも囲碁や将棋の延長。
動物番組で観るサバンナの狩や縄張り争いの場面とデモやストライキ、裁判、選挙...
勝ち負けという事で同じように観ていた?
写真AC
みんな戦い好きだよね。
願い事は世界平和って人でも日常は戦ってばかり、何か見つけては敵にしたがる。
それじゃあ戦争は終わるわけ無いよな。
戦争ものはあまり好きじゃないけど今年になって初めてEテレで放送中の銀河英雄伝説を見ている。子供の頃、ウッチャンと東野幸治がコントでやっていたのが気になってからだから何年越しだ?
↑こんなイメージしかなかったのに、すっかり今の画になっている。↓
私自身、なるべく戦いたくない人です。
身近な日常生活で起こりうる力比べは、若い子から割と聞くマウントとるとかですかね。
きっと私は何か言われても、へぇー、そうなんだーと思うだけだろう。同じ土俵には上がれない。
若い子は大変だね。
何か大事な場面でどうしても勝たなければならないようなケース以外はそういう手段はパスしたい。
幸せを妬む人もいやーね。
私は明るい方向のがいいから、幸せアピールされたりしたらきっと自分にそれを取り込もうとする、相手と同化しようとする。この人は未来のアタシね!みたいな。
ん、それってエナジーバンパイヤ? 違うよね?
逆に不幸を嘆く人や何か仕掛けて来る人を見ると自分とは距離を置きたくなる。
でも、自分にもその相手と同じ要素があるかどうか、それが何の要素なのか探したい。そこから何か得られるから。嫌な事から得られる事は結構ある。
相手の嫌な要素が自分にもあると気付くとそれは小さくなる。
完全に取り込むと消えたように感じる。
これを消化と言うのか。
次に、病人対介護者の場合
相手をコントロールしたいから病気になる
病人になる事で相手をコントロールする
という場合があるようです。
相手に依存しているから相手を病人にする
共依存の関係?
これは各々別の目的を見つけたら解放されます。きっと。
決めるとそうなっちゃうから
たとえ病気であっても病人とみなす事はしない。
病気は相手にしない。
病と闘う「闘病」は症状を大きくする。
辛い症状に大注目してしまうから。
病気は一つの結果であるから、結果を変えたかったらそれに至った言動と内面に目を向けるべき。
しかし個人の問題だけではない事も忘れてはならない。今の地球は野生動物もガンになる環境だから。
社会的に人に理解してもらうには病名を名乗るのは非常に便利だけど、常に自分の中でも、自分は病気だからと決めていては狭まる。
症状は他人事のように観察して、本業に集中したい。
何かやりたい事があって、でも、〜だから出来ないというのは、本当にやりたい事ではない、そこまでしてやりたい事ではないとみなされる。思い込みで出来た幻想の夢。
本当は何の為に〜が重要だったりする。
本当にやりたい事なら、あらゆる可能性を模索するべきで、感情や思考をなくして見たり、視点を変える事がいいのではないかと思う。